人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2019年 11月 10日

妙法蓮華経と唱えることで己心中の仏性が呼ばれて必ず顕れる事を明らかにした書【法華初心成仏抄】一

【法華初心成仏抄】  英語版
■出筆時期:弘安元年 (西暦1278年) 五十七歳御作
■出筆場所:身延山 草庵にて述作
■出筆の経緯:本抄は駿河国岡宮(現在の沼津市)に住む「岡宮妙法尼」に与えられた書です。
 岡宮妙法尼は、夫、兄に先立たれながらも大聖人に帰依し続け、純真な信仰を貫いだ女性で、法華経信仰について数々大聖人に問われ、それに対して本書で答えられている。
 本書の中で大聖人は『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給う処を仏とは云うなり。譬えば篭(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ』と記し、比喩を用いて初心の信徒でも『南無妙法蓮華経』と唱えることより自身の仏性が顕れる道理を、分かりやすく伝えている。
■ご真筆:現存しておりません。

[法華初心成仏抄 本文] その一

 問うて云く、八宗・九宗・十宗の中に何(いずれ)か釈迦仏の立て給へる宗なるや。
 答えて云く、法華宗は釈迦所立の宗なり。其の故は已説・今説・当説の中には法華経第一なりと説き給う。是れ釈迦仏の立て給う処の御語(みことば)なり。故に法華経をば仏立宗と云い、又は法華宗と云う、又天台宗とも云うなり。
 故に伝教大師の釈に云く天台所釈の法華の宗は釈迦世尊所立の宗と云へり。法華より外の経には全く已今当の文なきなり。已説とは法華より已前の四十余年の諸経を云う。今説とは無量義経を云う。当説とは涅槃経を云う。此の三説の外に法華経計(ばか)り成仏する宗なりと仏定め給へり。余宗は仏・涅槃し給いて後、或は菩薩・或は人師達の建立する宗なり。仏の御定(ごじょう)を背きて菩薩人師の立てたる宗を用ゆべきか、菩薩人師の語(ことば)を背きて仏の立て給へる宗(しゅう)を用ゆべきか、又何れをも思い思いに我が心に任せて志あらん経法を持つべきかと思う処に、仏是(これ)を兼て知(しろ)し召して末法濁悪の世に真実の道心あらん人人の持つべき経を定め給へり。経に云く「法に依つて人に依らざれ、義に依つて語に依らざれ、知に依つて識に依らざれ、了義経に依つて不了義経に依らざれ」文。此の文の心は菩薩・人師の言には依るべからず、仏の御定(ごじょう)を用いよ。華厳・阿含・方等・般若経等の真言・禅宗・念仏等の法には依らざれ・了義経を持つべし。了義経と云うは法華経を持つべしと云う文なり。
 問うて云く、今日本国を見るに当時五濁の障(さわり)重く・闘諍堅固にして瞋恚の心猛(たけ)く・嫉妬の思い甚し。かかる国・かかる時には何れの経をか弘むべきや。 
 答えて云く、法華経を弘むべき国なり。其の故は法華経に云く「閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云。瑜伽論には丑寅(うしとら)の隅に大乗・妙法蓮華経の流布すべき小国ありと見えたり。安然和尚云く「我が日本国」等云云。天竺よりは丑寅の角(すみ)に此の日本国は当たるなり。又慧心僧都の一乗要決に云く「日本一州・円機純一にして朝野遠近(ちょうや・おんごん)・同く一乗に帰し緇素貴賤(しそ・きせん)悉く成仏を期せん」云云。此の文の心は日本国は京・鎌倉・筑紫・鎮西・みちをく(陸奥)・遠きも近きも法華一乗の機のみ有りて、上も下も・貴(とうとき)も賤(いやしき)も・持戒も破戒も・男も女も・皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なりと云う文なり。譬えば崑崙山に石なく・蓬莱山に毒なきが如く、日本国は純(もっぱら)に法華経の国なり。
 而るに法華経は元よりめでたき御経なれば誰か信ぜざると語(ことば)には云うて而も昼夜朝暮に弥陀念仏を申す人は、薬はめでたしとほめて朝夕(あさゆう)毒を服する者の如し。或は念仏も法華経も一つなりと云はん人は、石も玉も・上ろうも下ろうも・毒も薬も一つなりと云わん者の如し。其の上・法華経を怨み・嫉み・悪(にく)み・毀り・軽しめ・賤む族(やから)のみ多し。経に云く「一切世間多怨難信」又云く「如来現在・猶多怨嫉(ゆたおんしつ)・況滅度後」の経文少しも違はず当たれり。
 されば伝教大師の釈に云く「代を語れば則ち像の終り・末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯(かつ)の西・人を原(たず)ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉・況滅度後と。此の言・良(まこと)に以(ゆえ)有るなり」と。此等の文釈をもつて知るべし。日本国に法華経より外の真言・禅・律宗・念仏宗等の経教、山山・寺寺・朝野遠近に弘まるといへども、正(まさし)く国に相応して仏の御本意に相叶ひ・生死を離るべき法にはあらざるなり。
 問うて云く、華厳宗には五教を立て余の一切の経は劣れり・華厳経は勝ると云ひ、真言宗には十住心を立て・余の一切経は顕経なれば劣るなり、真言宗は密教なれば勝れたりと云う。禅宗には余の一切教をば教内と簡(きら)いて教外(きょうげ)別伝・不立文字と立て・壁に向いて悟れば禅宗独り勝れたりと云う。浄土宗には正雑・二行を立て・法華経等の一切教をば捨閉閣抛(しゃへいかくほう)し・雑行と簡(きら)ひ・浄土の三部経を機に叶ひ・めでたき正行なりと云う。各各我慢を立て互ひに偏執(へんしゅう)を作す。何れか釈迦仏の御本意なるや。
 答えて云く、宗宗・各別に我が経こそ・すぐれたれ、余経は劣れりと云いて我が宗吉(よし)と云う事は唯是れ人師の言にて仏説にあらず。但し法華経計(ばか)りこそ仏・五味の譬へを説きて五時の教に当て・此の経の勝れたる由を説き、或は又已今当の三説の中に・仏になる道は法華経に及ぶ経なしと云う事は正しき仏の金言なり。
 然るに我が経は法華経に勝れたり、我が宗は法華宗に勝れたりと云はん人は、下ろうが上ろうを凡下と下(くだ)し、相伝の従者(ずさ)が主に敵対して我が下人(げにん)なりと云わんが如し。何ぞ大罪に行なはれざらんや。法華経より余経を下(くだ)す事は人師の言にあらず・経文分明(ふんみょう)なり。譬えば国王の万人に勝れたりと名乗り、侍の凡下を下ろうと云わんに何の禍(とが)かあるべきや。此の経は是れ仏の御本意なり、天台・妙楽の正意なり。

[法華初心成仏抄 本文] その二に続く




by johsei1129 | 2019-11-10 10:54 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


<< 妙法蓮華経と唱えることで己心中...      池上兄弟の篤信を称えた書【兵衛... >>