2014年 04月 07日
[諫暁八幡抄 本文]その四 今又日本国・一万一千三十七の寺、並びに三千一百三十二社の神は国家安穏のために・あがめられて候。而るに其の寺寺の別当等・其の社社の神主等(かんぬしら)はみなみな・あがむるところの本尊と神との御心に相違せり。彼れ彼れの仏と神とは其の身・異体なれども其の心同心に法華経の守護神なり。別当と社主等は或は真言師・或は念仏者・或は禅僧・或は律僧なり。皆一同に八幡等の御かたきなり。謗法(ほうぼう)不孝の者を守護し給いて正法の者を或は流罪・或は死罪等に行なわするゆへに・天のせめを被(かお)り給いぬるなり。 我が弟子等の内・謗法の余慶(よけい)有る者の思いて・いわく、此の御房は八幡をかたきとすと云云。これいまだ道理有りて法の成就せぬには本尊をせむるという事を存知せざる者の思いなり。 付法蔵経と申す経に大迦葉(だいかしょう)尊者の因縁を説いて云く「時に摩竭(まかつ)国に婆羅門(ばらもん)有り。尼倶律陀(にくりだ)と名づく。過去の世に於て久しく勝業を修し、多く財宝に饒(ゆた)かにして巨富無量なり。摩竭王に比するに千倍勝れりと為す。財宝饒かなりと雖も子息有る事無し。自ら念(おも)わく、老朽して死の時・将(まさ)に至らんとす。庫蔵の諸物・委付する所無し。 其の舎(いえ)の側に於て樹林神有り。彼の婆羅門・子を求むるが為の故に即ち往(ゆい)て祈請す。年歳を経歴(きょうりゃく)すれども微応(みおう)も無し。時に尼倶律陀・大いに瞋忿(しんふん)を生じて樹神に語りて曰く、我・汝に事(つかえ)てより来(このかた)、已に年歳を経れども都(すべ)て一の福応を垂るるを見ず。今当に七日至心に汝に事(つか)うべし。若し復(また)験(しるし)無ければ、必ず相・焼剪(しょうせん)せん。 樹神・聞き已(おわっ)て甚だ愁怖(しゅうふ)を懐き四天王に向つて具(つぶさ)に斯(こ)の事を陳ぶ。是に於て四王・往(ゆい)て帝釈に白す。帝釈・閻浮提の内を観察するに、福徳の人の彼の子と為るに堪ゆる無し。即ち梵王に詣で・広く上の事を宣ぶ。爾の時に梵王・天眼を以て観見するに、梵天の当に命終に臨む有り。而して之に告げて曰く、汝・若し神を降さば宜しく当に彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ずべし。梵天対(こたえ)て曰く、婆羅門の法・悪邪見多し。我・今其の子と為る事・能(あたわ)ざるなり。 梵王復言く、彼の婆羅門・大威徳有り。閻浮提の人・往て生ずるに堪ゆる莫(な)し。汝・必ず彼(かしこ)に生ぜば・吾れ相護りて終に汝をして邪見に入らしめざらん。梵天曰く、諾(だく)。敬(つつし)んで聖教を承(う)けん。是に於て帝釈即ち樹神に向つて斯くの如き事を説く。樹神歓喜して尋(つ)いで其の家に詣(いた)って婆羅門に語らく、汝・今復恨みを我れに起こす事なかれ。郤(さっ)て後七日、当に卿が願を満たすべし。七日に至て已に婦娠(つま・はら)む事有るを覚え、十月を満足して一男児を生めり、乃至今の迦葉是なり」云云。 「時に応じて尼倶律陀(にくりだ)大いに瞋忿(しんふん)を生ず」等云云。常のごときんば氏神に向いて大瞋恚(しんに)を生ぜん者は今生には身をほろぼし、後世には悪道に堕つべし。然りと雖も尼倶律陀長者・氏神に向て大悪口・大瞋恚を生じて大願を成就し・賢子をまうけ給いぬ。当に知るべし、瞋恚は善悪に通ずる者なり。 今日蓮は去(い)ぬる建長五年 癸丑 四月二十八日より今年弘安三年 太歳庚辰 十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんと・はげむ計(ばか)りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。 此れ又時の当たらざるにあらず、已に仏記の五五百歳に当れり。天台・伝教の御時は時・いまだ来たらざりしかども、一分の機ある故に少分流布せり。何に況んや今は已(すで)に時いたりぬ、設(た)とひ機なくして水火をなすとも、いかでか弘通せざらむ。只不軽(ふきょう)のごとく大難には値(あ)うとも・流布せん事疑ひなかるべきに、真言・禅・念仏者等の讒奏(ざんそう)に依りて無智の国主等・留難をなす。此を対治すべき氏神・八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに日蓮の氏神を諌暁(かんぎょう)するは道理に背くべしや。尼倶律陀長者が樹神をいさむるに・異ならず。 蘇悉地(そしっち)経に云く「本尊を治罰する事・鬼魅(きみ)を治するが如し」等云云。文の心は経文のごとく所願を成ぜんがために数年が間・法を修行するに、成就せざれば本尊を・或は・しば(縛)り・或は打ちなんどせよととかれて候。相応和尚の不動明王をしばりけるは此の経文を見たりけるか。 此は他事には・にるべからず。日本国の一切の善人は、或は戒を持ち、或は布施を行じ、或は父母等の孝養のために寺塔を建立し、或は成仏得道の為に妻子をやしなうべき財(たから)を止めて諸僧に供養をなし候に、諸僧謗法の者たるゆへに謀反の者を知らずして・やど(宿)したるがごとく、不孝の者に契(ちぎり)をなせるがごとく、今生には災難を招き、後生も悪道に堕ち候べきを扶(たす)けんとする身なり。而るを日本国の守護の善神等、彼等にくみして正法の敵となるゆへに此をせむるは経文のごとし。道理に任せたり。 我が弟子等が愚案に・をもわく、我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上、大難の来たれるは、真言は国をほろぼす・念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊と・の給うゆへなり。例せば道理有る問注(もんじゅう)に悪口(あっく)の・まじわれるがごとしと云云。 日蓮我が弟子に反詰(はんきつ)して云く、汝若し爾(しか)らば我が問を答えよ。一切の真言師・一切の念仏者・一切の禅宗等に向って南無妙法蓮華経と唱え給えと勧進(かんじん)せば・彼等の云く、我が弘法大師は法華経と釈迦仏とを戯論(けろん)・無明の辺域・力者・はき(履)物とりに及ばずと・かかせ給いて候。物の用にあわぬ法華経を読誦せんよりも、其の口に我が小呪(しょうじゅ)を一反も見つべし。 一切の在家の者の云く、善導和尚は法華経をば千中無一・法然上人は捨閉閣抛(しゃへいかくほう)・道綽禅師(どうしゃく・ぜんし)は未有一人得者と定めさせ給へり。汝がすすむる南無妙法蓮華経は我が念仏の障(さわ)りなり、我等・設(たと)い悪をつくるとも・よも唱えじ。 一切の禅宗の云く、我が宗は教外別伝と申して一切経の外(ほか)に伝へたる最上の法門なり。一切経は指のごとし、禅は月のごとし。天台等の愚人は指をまほつて月を亡(うしな)いたり。法華経は指なり、禅は月なり。月を見て後は・指は何のせん(詮)か有るべきなんど申す。 かくのごとく申さん時は、いかにとしてか南無妙法蓮華経の良薬をば彼れ等が口には入るべき。 仏は且(しば)らく阿含(あごん)経を説き給いて後、彼の行者を法華経へ入れんと・たばかり給いしに、一切の声聞等・只阿含経に著して法華経へ入らざりしをば、いかやうにか・たばから(謀)せ給いし。此をば仏・説いて云く「設ひ五逆罪は造るとも・五逆の者をば供養すとも・罪は仏の種とはなるとも、彼れ等が善根は仏種とならじ」とこそ説かせ給ひしか。 小乗・大乗はかわれども同じく仏説なり。大が小を破して小を大となすと、大を破して法華経に入ると、大小は異なれども法華経へ入れんと思う志は是一つなり。されば無量義経に大を破して云く「未顕真実」と。法華経に云く「此の事は為(さだめ)て不可なり」等云云。仏自ら云く「我世に出でて華厳・般若等を説きて法華経をとかずして入涅槃(にゅうねはん)せば、愛子に財(たから)を・をしみ、病者に良薬をあたへずして死にたるがごとし。仏自ら地獄に堕つべし」と云云。不可と申すは地獄の名なり。況んや法華経の後、爾前(にぜん)の経に著して法華経へうつらざる者は大王に民の従がはざるがごとし、親に子の見(まみ)へざるがごとし。設(たと)い法華経を破せざれども、爾前の経経をほむるは法華経をそしるに当たれり。妙楽云く「若し昔を称歎せば・豈(あ)に今を毀(そし)るに非ずや」文。 又云く「発心せんと欲すと雖も偏円を簡(えら)ばず、誓ひの境を解(さと)らざれば未来・法を聞くとも何ぞ能(よ)く謗(そしり)を免れん」等云云。真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は設(た)とい法華経を大日経に相対して勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも、滅後に生まれたる三蔵・人師なれば謗法はよも免れ候はじ。何に況んや善無畏等の三三蔵は法華経は略説・大日経は広説と同じて、而かも法華経の行者を大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論(けろん)なんどかかれて候大科を明らめずして・此の四百余年一切衆生を皆謗法の者となせり。 例せば大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由佗(なゆた)の人を皆無間地獄に堕せると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく(優婆塞)・うばい(優婆夷)を皆阿鼻(あび)大城に導きしと、今の三大師の教化に随いて日本国四十九億九万四千八百二十八人・或は云く日本紀に行基の人数に云く・男女四十五億八万九千六百五十九人云云の一切衆生・又四十九億等の人人、四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば、其の後・他方世界よりは生れて又死して無間地獄に堕ちぬ。かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し。此れ皆三大師の科(とが)ぞかし。 此れを日蓮此等を大いに見ながらいつわり・をろかにして申さずば、倶(とも)に堕地獄の者となつて一分の科なき身が十方の大阿鼻獄を経(へ)めぐるべし。いかでか身命をすてて・よばわらざるべき。涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは・悉く是如来一人の苦なり」等云云。日蓮云く、一切衆生の同一苦は・悉く是日蓮一人の苦と申すべし。
[諫暁八幡抄 本文]その五に続く
by johsei1129
| 2014-04-07 22:17
| 重要法門(十大部除く)
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