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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 26日

末法において報恩とは「妙法蓮華経」を説き仏身に入らしめる事であることをあかした書『報恩抄』 その三

[報恩抄 本文] その三
 又石淵(いわぶち)の勤操僧正(ごんそうそうじょう)の御弟子に空海と云う人あり。後には弘法大師とがうす。去(い)ぬる延暦二十三年五月十二日に御入唐、漢土にわたりては金剛智・善無畏の両三蔵の第三の御弟子・慧果(けいか)和尚といゐし人に両界を伝受し、大同二年十月二十二日に御帰朝。平城(へいぜい)天王の御宇なり。桓武天王は御ほうぎよ、平城天王に見参し御用いありて御帰依・他にことなりしかども、平城ほどもなく嵯峨に世をとられさせ給いしかば・弘法ひき入れてありし程に、伝教大師は嵯峨天王の弘仁十三年六月四日御入滅。同じき弘仁十四年より弘法大師・王の御師となり、真言宗を立てて東寺を給ひ・真言和尚とがうし此(これ)より八宗始る。一代の勝劣を判じて云く、第一真言・大日経、第二華厳、第三は法華・涅槃等云云。法華経は阿含・方等・般若等に対すれば真実の経なれども、華厳経・大日経に望むれば戯論(けろん)の法なり。教主釈尊は仏なれども大日如来に向うれば無明の辺域と申して皇帝と俘囚(えびす)との如し。天台大師は盗人(ぬすびと)なり、真言の醍醐を盗んで法華経を醍醐という、なんどかかれしかば・法華経はいみじとをもへども弘法大師にあひぬれば物のかずにもあらず。天竺の外道はさて置きぬ。漢土の南北が法華経は涅槃経に対すれば邪見の経といゐしにもすぐれ、華厳宗が法華経は華厳経に対すれば枝末教と申せしにも・こへたり。例(たとえ)ば彼の月氏の大慢婆羅門が大自在天・那羅延(ならえん)天・婆籔天(ばそてん)・教主釈尊の四人を高座の足につくりて其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし。伝教大師・御存生ならば一言は出されべかりける事なり。又義真・円澄・慈覚・智証等もいかに御不審はなかりけるやらん、天下第一の大凶なり。
 慈覚大師は去(い)ぬる承和五年に御入唐、漢土にして十年が間・天台・真言の二宗をならう。法華・大日経の勝劣を習いしに、法全(ほっせん)・元政(げんじょう)等の八人の真言師には、法華経と大日経は理同事勝等云云。天台宗の志遠(しおん)・広修・維蠲(ゆいけん)等に習いしには、大日経は方等部の摂(しょう)等云云。同じき承和十三年九月十日に御帰朝、嘉祥(かしょう)元年六月十四日に宣旨下(くだ)る。法華・大日経等の勝劣は漢土にして・しりがたかりけるかのゆへに、金剛頂経の疏(しょ)七巻・蘇悉地経の疏七巻・已上十四巻、此の疏の心は大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と法華経の義は其の所詮の理は一同なれども、事相の印と真言とは真言の三部経すぐれたりと云云。此れは偏に善無畏・金剛智・不空の造りたる大日経の疏の心のごとし。
 然れども我が心に猶不審やのこりけん、又心にはと(解)けてんけれども人の不審をはらさんとや・おぼしけん。此の十四巻の疏を御本尊の御前にさしをきて御祈請(きせい)ありき。かくは造りて候へども仏意計りがたし。大日の三部やすぐれたる、法華経の三部やまされると御祈念有りしかば、五日(いつか)と申す五更に忽ちに夢想あり。青天に大日輪かかり給へり、矢をもてこれを射ければ矢・飛んで天(そら)にのぼり日輪の中に立ちぬ。日輪動転してすでに地に落(おち)んとすと・をもひて・うちさ(覚)めぬ。悦んで云く、我に吉夢あり、法華経に真言勝れたりと造りつるふみ(文)は仏意に叶いけりと悦ばせ給いて宣旨を申し下して日本国に弘通あり。而も宣旨の心に云く「遂に知んぬ。天台の止観と真言の法義とは理・冥に符(あ)えり」等と云云。祈請のごときんば大日経に法華経は劣なるやうなり。宣旨を申し下すには法華経と大日経とは同じ等云云。

 智証大師は本朝にしては義真和尚・円澄大師・別当・慈覚等の弟子なり。顕密の二道は大体・此の国にして学(がく)し給いけり。天台・真言の二宗の勝劣の御不審に漢土へは渡り給ひけるか。去(いぬる)仁寿二年に御入唐、漢土にしては真言宗は法全(ほっせん)・元政等にならはせ給い、大体・大日経と法華経とは理同事勝・慈覚の義のごとし。天台宗は良諝(りょうじょ)和尚にならひ給い、真言・天台の勝劣、大日経は華厳・法華等には及ばず等云云。七年が間・漢土に経て去ぬる貞観元年五月十七日に御帰朝、大日経の旨帰に云く「法華尚及ばず、況んや自余の教をや」等云云。此の釈は法華経は大日経には劣る等云云。又授決集に云く「真言禅門乃至若し華厳・法華・涅槃等の経に望むれば是れ摂引門」等云云。普賢経の記・論の記に云く同じ等云云。貞観八年丙戌四月廿九日壬申・勅宣を申し下して云く「聞くならく真言・止観・両教の宗、同じく醍醐と号し倶に深秘と称す」等云云。又六月三日の勅宣に云く「先師・既に両業を開いて以て我が道と為す。代代の座主相承して兼ね伝えざること莫し。在後の輩・豈旧迹(きゅうせき)に乖(そむ)かんや。聞くならく、山上の僧等専ら先師の義に違いて偏執の心を成ず。殆んど余風を扇揚し旧業を興隆するを顧みざるに似たり。凡そ厥(そ)の師資の道・一を闕(か)きても不可なり。伝弘の勤め・寧ろ兼備せざらんや。今より以後宜く両教に通達するの人を以て延暦寺の座主と為し、立てて恒例と為すべし」云云。

 されば慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子、漢土にわたりては又天台・真言の明師に値いて有りしかども・二宗の勝劣は思い定めざりけるか。或は真言すぐれ・或は法華すぐれ・或は理同事勝等云云。宣旨を申し下すには二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり。此れ等は皆自語相違といゐぬべし。他宗の人はよも用いじとみえて候。但二宗の斉等(ひとし)とは先師伝教大師の御義と宣旨に引き載せられたり。抑(そもそも)伝教大師いづれの書にかかれて候ぞや。此の事よくよく尋ぬべし。
 慈覚・智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは、親に値うての年あらそひ、日天に値い奉りての目くらべ(比較)にては候へども、慈覚・智証の御かたふどを・せさせ給はん人人は分明(ふんみょう)なる証文をかまへさせ給うべし。詮ずるところは信をとらんがためなり。玄奘三蔵は月氏の婆沙論(ばしゃろん)を見たりし人ぞかし、天竺にわたらざりし宝法師にせめられにき。法護三蔵は印度の法華経をば見たれども、嘱累(ぞくるい)の先後をば漢土の人・みねども悞(あやまり)と・いひしぞかし。設い慈覚・伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも、智証・義真和尚に口決(ぐけつ)せりといふとも、伝教・義真の正文(しょうもん)に相違せば・あに不審を加えざらん。
 伝教大師の依憑集と申す文は大師第一の秘書なり。彼の書の序に云く「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯(ほろぼ)し、旧到(くとう)の華厳家は則ち影響(ようごう)の軌範を隠し、沈空の三論宗は弾訶の屈恥(くっち)を忘れて称心の酔ひを覆う、著有(じゃくう)の法相は撲揚(ぼくよう)の帰依を非(なみ)し・青竜の判経を撥(はら)う等、乃至謹んで依憑集(えびょうしゅう)の一巻を著(あら)わして同我の後哲に贈る。某(それ)時興ること、日本第五十二葉・弘仁の七丙申(ひのえさる)の歳なり」云云。
 次ぎ下の正宗(しょうしゅう)に云く「天竺の名僧・大唐天台の教迹(きょうしゃく)最も邪正を簡(えら)ぶに堪えたりと聞いて渇仰して訪問す」云云。次ぎ下に云く「豈中国に法を失つて之を四維に求むるに非ずや。而かも此の方に識ること有る者少し。魯人(ろひと)の如きのみ」等云云。此の書は法相・三論・華厳・真言の四宗をせめて候文(ふみ)なり。天台・真言の二宗・同一味ならばいかでかせめ候べき。而も不空三蔵等をば魯人のごとし・なんどかかれて候。善無畏・金剛智・不空の真言宗いみじくば・いかでか魯人と悪口あるべき。又天竺の真言が天台宗に同じきも、又勝れたるならば天竺の名僧いかでか不空にあつらへ中国に正法なしとはいうべき。
 それは・いかにもあれ慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御(み)弟子とは・なのらせ給(たまえ)ども心は御弟子にあらず。其の故は此の書に云く「謹んで依憑集一巻を著わして同我の後哲に贈る」等云云。同我の二字は真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ同我にてはあるべけれ。我と申し下さるる宣旨に云く「専ら先師の義に違い・偏執の心を成す」等云云。又云く「凡そ厥(その)師資の道・一を闕(か)いても不可なり」等云云。此の宣旨のごとくならば慈覚・智証こそ専ら先師にそむく人にては候へ。
 かうせめ候も・をそれにては候へども、此れをせめずば大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じて、いのちをまとに・かけて・せめ候なり。此の二人の人人の弘法大師の邪義をせめ候はざりけるは最も道理にて候いけるなり。されば粮米をつくし・人をわづら(労)はして漢土へわたらせ給はんよりは、本師・伝教大師の御義を・よくよく・つ(尽)くさせ給うべかりけるにや。
 されば叡山の仏法は但(た)だ伝教大師・義真和尚・円澄大師の三代計りにてやありけん。天台座主すでに真言の座主にうつりぬ。名と所領とは天台山、其の主(ぬし)は真言師なり。されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり。已今当の経文をやぶらせ給うは・あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや。弘法大師こそ第一の謗法の人とおもうに、これは・それには・にるべくもなき僻事(ひがごと)なり。其の故は水火・天地なる事は僻事なれども、人用ゆる事なければ其の僻事・成ずる事なし。弘法大師の御義はあまり僻事なれば弟子等も用ゆる事なし。事相計りは其の門家なれども、其の教相の法門は弘法の義い(云)ゐにくきゆへに、善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり。慈覚・智証の義こそ真言と天台とは理同なりなんど申せば皆人さもやと・をもう。かう(斯)・をもうゆへに事勝の印と真言とにつひて、天台宗の人人・画像・木像の開眼の仏事を・ねらはんがために、日本・一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり。例せば法師と尼と、黒(くろき)と青(あおき)とは、まがひぬべければ眼くらき人はあやまつぞかし。僧と男と、白と赤とは目くらき人も迷わず、いわうや眼あきらかなる者をや。慈覚・智証の義は法師と尼と、黒と青とが・ごとくなる・ゆへに、智人も迷い・愚人もあやまり候ひて此の四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州、皆謗法の者となりぬ。

 抑(そもそ)も法華経の第五に「文殊師利・此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上に在り」云云。此の経文のごとくならば法華経は大日経等の衆経の頂上に住し給う正法なり。さるにては善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は此の経文をば・いかんが会通(えつう)せさせ給うべき。法華経の第七に云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為(これ)第一なり」等云云。此の経文のごとくならば法華経の行者は川流・江河の中の大海、衆山の中の須弥山、衆星の中の月天、衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。
 伝教大師の秀句と申す書に云く「此の経も亦復是くの如し乃至諸の経法の中に最も為(これ)第一なり。能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為(これ)第一なり」已上経文なりと引き入れさせ給いて次下に云く「天台法華玄に云く」等云云。已上玄文と・かかせ給いて上(かみ)の心を釈して云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず。其の能く経を持(たも)つ者も亦未だ第一ならず。天台法華宗・所持の法華経は最も為れ第一なる故に能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり。已に仏説に拠る。豈自歎ならん哉」等云云。次下に譲る釈に云く「委曲の依憑(えひょう)具さに別巻に有るなり」等云云。依憑集に云く「今吾が天台大師・法華経を説き、法華経を釈すること群に特秀し唐に独歩す。明らかに知んぬ・如来の使ひなり。讃(ほむ)る者は福(さいわい)を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云云。
 法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心の如くならば、今日本国には法華経の行者は一人も・なきぞかし。月氏には教主釈尊・宝塔品にして一切の仏を・あつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、大日如来計り・宝塔の中(うち)の南の下座にす(居)へ奉りて・教主釈尊は北の上座につかせ給う。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う。此れ即ち法華経の行者なり。天竺かくのごとし、漢土には陳帝の時、天台大師・南北にせめかちて現身に大師となる。「群に特秀し唐に独歩す」という・これなり。日本国には伝教大師・六宗にせめかちて日本の始め・第一の根本大師となり給う。月氏・漢土・日本に但三人計りこそ「一切衆生の中に於て亦為(これ)第一なり」にては候へ。されば秀句に云く「浅きは易く・深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚(ふよう)し、叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。仏滅後・一千八百余年が間に法華経の行者、漢土に一人・日本に一人已上二人、釈尊を加へ奉りて已上三人なり。

[報恩抄 本文] その四に続く




by johsei1129 | 2019-10-26 18:31 | 報恩抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)


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