日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 03月 11日

末法こそ妙法蓮華経の流布する時であることをあきらかにした書【撰時抄】 その四

[撰時抄 本文] その四

問うて云く此の三宗の謬ご如何答えて云く浄土宗は斉の世に曇鸞法師と申す者あり本は三論宗の人竜樹菩薩の十住毘婆娑論を見て難行道易行道を立てたり、道綽禅師という者あり唐の世の者本は涅槃経をかうじけるが曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て涅槃経をすてて浄土にうつて聖道・浄土二門を立てたり、又道綽が弟子に善導という者あり雑行正行を立つ、日本国に末法に入つて二百余年・後鳥羽院の御宇に法然というものあり一切の道俗をすすめて云く仏法は時機を本とす法華経大日経天台真言等の八宗九宗一代の大小・顕密・権実等の諸宗等は上根上智の正像二千年の機のためなり、末法に入りてはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず、其の上・弥陀念仏にまじへて行ずるならば念仏も往生すべからず此れわたくしに申すにはあらず竜樹菩薩・曇鸞法師は難行道となづけ、道綽は未有一人得者ときらひ善導は千中無一とさだめたり、此等は他宗なれば御不審もあるべし、慧心先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか彼の往生要集には顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず、又三論の永観が十因等をみよされば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生・百即百生とすすめければ、叡山・東寺・園城・七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞道理かとみへければ顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる、其の上設い法然が弟子とならぬ人々も弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし心よせにをもひければ日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり、此の五十年が間・一天四海・一人もなく法然が弟子となる法然が弟子となりぬれば日本国一人もなく謗法の者となりぬ、譬へば千人の子が一同に一人の親を殺害せば千人共に五逆の者なり一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや、結句は法然・流罪をあだみて悪霊となつて我並びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入つて或は謀反ををこし或は悪事をなして皆関東にほろぼされぬ、わづかにのこれる叡山・東寺等の諸僧は俗男俗女にあなづらるること猿猴の人にわらはれ俘囚が童子に蔑如せらるるがごとし、禅宗は又此の便を得て持斎等となつて人の眼を迷かしたつとげなる気色なればいかにひがほうもんをいゐくるへども失ともをぼへず、禅宗と申す宗は教外別伝と申して釈尊の一切経の外に迦葉尊者にひそかにささやかせ給へり、されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし、猿の月の影をとるににたり云云、此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ無礼なる故に、主君にかんどうせられあるいは若なる法師等の学文にものうき遊女のものぐるわしき本性に叶る邪法なるゆへに皆一同に持斎になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり、しかれば天は天眼をいからかし地神は身をふるう、真言宗と申すは上の二のわざはひにはにるべくもなき大僻見なりあらあら此れを申すべし、所謂大唐の玄宗皇帝の御宇に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を月支よりわたす、此の三経の説相分明なり其の極理を尋ぬれば会二破二の一乗・其の相を論ずれば印と真言と計りなり、尚華厳般若の三一相対の一乗にも及ばず天台宗の爾前の別円程もなし但蔵通二教を面とするを善無畏三蔵をもはく此の経文をあらわにいゐ出す程ならば華厳法相にもをこつかれ天台宗にもわらはれなん大事として月支よりは持ち来りぬさてもだせば本意にあらずとやをもひけん、天台宗の中に一行禅師という僻人一人ありこれをかたらひて漢土の法門をかたらせけり、一行阿闍梨うちぬかれて三論・法相・華厳等をあらあら・かたるのみならず天台宗の立てられけるやうを申しければ善無畏をもはく天台宗は天竺にして聞きしにも・なをうちすぐれてかさむべきやうもなかりければ善無畏・一行をうちぬひて云く和僧は漢土には・こざかしき者にてありけり、天台宗は神妙の宗なり今真言宗の天台宗にかさむところは印と真言と計りなりといゐければ一行さもやとをもひければ善無畏三蔵一行にかたて云く、天台大師の法華経に疏をつくらせ給へるごとく大日経の疏を造りて真言を弘通せんとをもう汝かきなんやといゐければ一行が云くやすう候、但しいかやうにかき候べきぞ天台宗はにくき宗なり諸宗は我も我もとあらそいをなせども一切に叶わざる事一あり、所謂法華経の序分に無量義経と申す経をもつて前四十余年の経経をば其の門を打ちふさぎ候いぬ、法華経の法師品・神力品をもつて後の経経をば又ふせがせぬ肩をならぶ経経をば今説の文をもつてせめ候大日経をば三説の中にはいづくにかをき候べきと問ひければ爾の時に善無畏三蔵大に巧んで云く大日経に住心品という品あり無量義経の四十余年の経経を打ちはらうがごとし、大日経の入漫陀羅已下の諸品は漢土にては法華経・大日経とて二本なれども天竺にては一経のごとし、釈迦仏は舎利弗・弥勒に向つて大日経を法華経となづけて印と真言とをすてて但理計りをとけるを羅什三蔵此れをわたす天台大師此れをみる、大日如来は法華経を大日経となづけて金剛薩たに向つてとかせ給う此れを大日経となづく我まのあたり天竺にしてこれを見る、されば汝がかくべきやうは大日経と法華経とをば水と乳とのやうに一味となすべし、もししからば大日経は已今当の三説をば皆法華経のごとくうちをとすべし、さて印と真言とは心法の一念三千に荘厳するならば三密相応の秘法なるべし、三密相応する程ならば天台宗は意密なり真言は甲なる将軍の甲鎧を帯して弓箭を横たへ太刀を腰にはけるがごとし、天台宗は意密計りなれば甲なる将軍の赤裸なるがごとくならんといゐければ、一行阿闍梨は此のやうにかきけり、漢土三百六十箇国には此の事を知る人なかりけるかのあひだ始めには勝劣を諍論しけれども善無畏等は人がらは重し天台宗の人人は軽かりけり、又天台大師ほどの智ある者もなかりければ但日日に真言宗になりてさてやみにけり、年ひさしくなればいよいよ真言の誑惑の根ふかくかくれて候いけり、日本国の伝教大師・漢土にわたりて天台宗をわたし給うついでに真言宗をならべわたす、天台宗を日本の皇帝にさづけ真言宗を六宗の大徳にならはせ給う、但し六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給う、入唐已後には円頓の戒場を立てう立てじの論の計りなかりけるかのあひだ敵多くしては戒場の一事成りがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず、但し依憑集と申す一巻の秘書あり七宗の人人の天台に落ちたるやうをかかれて候文なり、かの文の序に真言宗の誑惑一筆みへて候弘法大師は同じき延暦年中に御入唐・青竜寺の慧果に値い給いて真言宗をならはせ給へり、御帰朝の後・一代の勝劣を判じ給いけるに第一真言・第二華厳・第三法華とかかれて候、此の大師は世間の人人もつてのほかに重ずる人なり、但し仏法の事は申すにをそれあれども・もつてのほかにあらき事どもはんべり、此の事をあらあら・かんがへたるに漢土にわたらせ給いては但真言の事相の印真言計り習いつたえて其の義理をばくはしくもさはぐらせ給はざりけるほどに日本にわたりて後大に世間を見れば天台宗もつてのほかに・かさみたりければ、我が重ずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに本日本国にして習いたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり、それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけん・すこしいろをかえて此れは大日経・竜猛菩薩の菩提心論・善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども天台宗の人人いたうとがめ申す事なし。

 問うて云く弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰二教論に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す」又云く「無明の辺域にして明の分位に非ず」又云く「第四熟蘇味なり」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名く」等云云、此等の釈の心如何、答えて云く予此の釈にをどろいて一切経並びに大日の三部経等をひらきみるに華厳経と大日経とに対すれば法華経戯論・六波羅蜜経に対すれば盗人・守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候はず此の事はいとはかなき事なれども此の三四百余年に日本国のそこばくの智者どもの用いさせ給へば定めてゆへあるかとをもひぬべし、しばらくいとやすきひが事をあげて余事のはかなき事をしらすべし、法華経を醍醐味と称することは陳隋の代なり六波羅蜜経は唐の半に般若三蔵・此れをわたす、六波羅蜜経の醍醐は陳隋の世にはわたりてあらばこそ天台大師は真言の醍醐をば盗ませ給はめ、傍例あり日本の得一が云く天台大師は深密経の三時教をやぶる三寸の舌をもつて五尺の身をたつべしとののしりしを伝教大師此れをただして云く深密経は唐の始玄奘これをわたす天台は陳隋の人・智者御入滅の後・数箇年あつて深密経わたれり、死して已後にわたれる経をばいかでか破り給うべきとせめさせ給いて候いしかば得一はつまるのみならず舌八にさけて死し候いぬ、これは彼にはにるべくもなき悪口なり、華厳の法蔵・三論の嘉祥・法相の玄奘・天台等・乃至南北の諸師・後漢より已下の三蔵人師を皆をさえて盗人とかかれて候なり、其の上・又法華経を醍醐と称することは天台等の私の言にはあらず、仏・涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給い天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかかれて候、竜樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給う、されば法華経等を醍醐と申す人・盗人ならば釈迦・多宝・十方の諸仏・竜樹・天親等は盗人にてをはすべきか、弘法の門人等・乃至日本の東寺の真言師・如何に自眼の黒白はつたなくして弁へずとも他の鏡をもつて自禍をしれ、此の外法華経を戯論の法とかかるること大日経・金剛頂経等にたしかなる経文をいだされよ、設い彼彼の経経に法華経を戯論ととかれたりとも訳者の誤る事もあるぞかしよくよく思慮のあるべかりけるか、孔子は九思一言・周公旦は沐には三にぎり食には三はかれけり外書のはかなき世間の浅き事を習う人すら智人はかう候ぞかし、いかにかかるあさましき事はありけるやらん、かかる僻見の末へなれば彼の伝法院の本願とがうする聖覚房が舎利講の式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏なり驢牛の三身は車を扶くること能はず秘奥なる者は両部・漫陀羅の教なり顕乗の四法は履を採るに堪へず」と云云、顕乗の四法と申すは法相・三論・華厳・法華の四人、驢牛の三身と申すは法華・華厳・般若・深密経の教主の四仏、此等の仏僧は真言師に対すれば聖覚 ・弘法の牛飼・履物取者にもたらぬ程の事なりとかいて候、彼の月氏の大慢婆羅門は生知の博学・顕密二道胸にうかべ内外の典籍・掌ににぎる、されば王臣頭をかたぶけ万人師範と仰ぐあまりの慢心に世間に尊崇する者は大自在天・婆籔天・那羅延天・大覚世尊・此の四聖なり我が座の四足にせんと座の足につくりて坐して法門を申しけり、当時の真言師が釈迦仏等の一切の仏をかきあつめて潅頂する時敷まんだらとするがごとし、禅宗の法師等が云く此の宗は仏の頂をふむ大法なりというがごとし、而るを賢愛論師と申せし小僧あり彼をただすべきよし申せしかども王臣万民これをもちゐず、結句は大慢が弟子等・檀那等に申しつけて無量の妄語をかまへて悪口打擲せしかどもすこしも命もをしまずののしりしかば帝王・賢愛をにくみてつめさせんとし給いしほどにかへりて大慢がせめられたりしかば、大王天に仰ぎ地に伏してなげひての給はく朕はまのあたり此の事をきひて邪見をはらしぬ先王はいかに此の者にたぼらされて阿鼻地獄にをはすらんと賢愛論師の御足にとりつきて悲涙せさせ給いしかば、賢愛の御計いとして大慢を驢にのせて五竺に面をさらし給いければいよいよ悪心盛になりて現身に無間地獄に堕ちぬ、今の世の真言と禅宗等とは此れにかわれりや、漢土の三階禅師の云く教主釈尊の法華経は第一・第二階の正像の法門なり末代のためには我がつくれる普経なり法華経を今の世に行ぜん者は十方の大阿鼻獄に堕つべし、末代の根機にあたらざるゆへなりと申して、六時の礼懺・四時の坐禅・生身仏のごとくなりしかば、人多く尊みて弟子万余人ありしかどもわづかの小女の法華経をよみしにせめられて当坐には音を失い後には大蛇になりてそこばくの檀那弟子並びに小女処女等をのみ食いしなり、今の善導・法然等が千中無一の悪義もこれにて候なり、此等の三大事はすでに久くなり候へばいやしむべきにはあらねども申さば信ずる人もやありなん、これよりも百千万億倍・信じがたき最大の悪事はんべり、慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なりしかれども上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なりとをもひり、此の人真言宗と法華宗の実義を極めさせ給いて候が真言は法華経には勝れたりとかかせ給へり、而るを叡山三千人の大衆・日本一州の学者等・一同の帰伏の義なり、弘法の門人等は大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給えるは、我がかたながらも少し強きやうなれども、慈覚大師の釈をもつてをもうに真言宗の法華経に勝れたることは一定なり、日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし、されば東寺第一のかたうど慈覚大師にはすぐべからず、例せば浄土宗・禅宗は余国にてはひろまるとも日本国にしては延暦寺のゆるされなからんには無辺劫はふとも叶うまじかりしを安然和尚と申す叡山第一の古徳・教時諍論と申す文に九宗の勝劣を立てられたるに第一真言宗・第二禅宗・第三天台法華宗・第四華厳宗等云云、此の大謬釈につひて禅宗は日本国に充満してすでに亡国とならんとはするなり法然が念仏宗のはやりて一国を失わんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり、師子の身の中の虫の師子を食うと仏の記し給うはまことなるかなや。

 伝教大師は日本国にして十五年が間・天台真言等を自見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審をはらさんがために漢土に亘りて天台真言の二宗を伝へ給いし時漢土の人人はやうやうの義ありしかども我が心には法華は真言にすぐれたりとをぼしめししゆへに真言宗の宗の名字をば削らせ給いて天台宗の止観・真言等かかせ給う、十二年の年分得度の者二人ををかせ給い、重ねて止観院に法華経・金光明経・仁王経の三部を鎮護国家の三部と定めて宣旨を申し下し永代・日本国の第一の重宝・神璽・宝剣・内侍所とあがめさせ給いき、叡山第一の座主・義真和尚・第二の座主・円澄大師までは此の義相違なし、第三の慈覚大師・御入唐・漢土にわたりて十年が間・顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう、又天台宗の人人・広修・惟けん等にならはせ給いしかども心の内にをぼしけるは真言宗は天台宗には勝れたりけり、我が師・伝教大師はいまだ此の事をばくはしく習せ給わざりけり漢土に久しくもわたらせ給わざりける故に此の法門はあらうちにをはしけるやとをぼして日本国に帰朝し・叡山・東塔・止観院の西に総持院と申す大講堂を立て御本尊は金剛界の大日如来・此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻・已上十四巻をつくる、此の疏の肝心の釈に云く「教に二種有り一は顕示教謂く三乗教なり世俗と勝義と未だ円融せざる故に、二は秘密教謂く一乗教なり世俗と勝義と一体にして融する故に、秘密教の中に亦二種有り一には理秘密の教諸の華厳般若維摩法華涅槃等なり但だ世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に、二には事理倶密教謂く大日教金剛頂経蘇悉地経等なり亦世俗と勝義との不二を説き亦真言密印の事を説く故に」等云云、釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給うに真言の三部経と法華とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり、しかれども密印と真言等の事法は法華経かけてをはせず法華経は理秘密・真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり、しかも此の筆は私の釈にはあらず善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせどもなをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑いをさんぜんとやをぼしけん、大師慈覚の伝に云く「大師二経の疏を造り功を成し已畢つて心中独り謂らく此の疏仏意に通ずるや否や若し仏意に通ぜざれば世に流伝せじ仍つて仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す五日の五更に至つて夢らく正午に当つて日輪を仰ぎ見弓を以て之を射る其の箭日輪に当つて日輪即転動す夢覚めての後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝うべし」等云云、慈覚大師は本朝にしては伝教・弘法の両家を習いきわめ異朝にしては八大徳並に南天の宝月三蔵等に十年が間・最大事の秘法をきわめさせ給える上二経の疏をつくり了り重ねて本尊に祈請をなすに智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給い、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給い・天台の座主を真言の官主となし真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間・碩学稲麻のごとし渇仰竹葦に同じ、されば桓武・伝教等の日本国・建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ官をなし寺をあづけ給ふ、仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり。

[撰時抄 本文]その五に続く

by johsei1129 | 2014-03-11 21:25 | 撰時抄(御書五大部) | Comments(0)


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