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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 22日

末法こそ妙法蓮華経の流布する時であることをあきらかにした書【撰時抄】その一

【撰時抄(せんじしょう)】
■出筆時期:建治元年(西暦1275年)、日蓮大聖人54歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて 
■出筆の経緯:文永11年(1274)、2年5ヶ月に及ぶ佐渡流罪が鎌倉幕府より御赦免となり、佐渡から鎌倉に帰還された大聖人は、文永11年4月、平左衛門尉に対して生涯三度目となる『国主諌暁』をなされたが、ついに取り入れられなかったため、今後は後世のために弟子への法門の相承をすべき時と判断。同年5月12日、鎌倉を出て身延に入られ草庵を設ける。そして翌年、本書『撰時抄』にて釈尊滅後2500年間に『八万四千宝蔵』と言われる仏法が流布する過程と、その『時』の本質を解き明かし、末法こそ『妙法蓮華経』を流布する必然の『時』であることをあきらかにした。
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■ご真筆:静岡県 玉沢妙法華寺(全五巻)所蔵  国指定文化財(重文書跡)

[撰時抄 本文] その一

    建治元年 五十四歳御作 釈子 日蓮 述ぶ

 夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間、一経も説き給はず。経に云く「一坐十小劫」。又云く「仏・時の未だ至らざるを知り、請(こい)を受けて黙然として坐す」等云云。今の教主釈尊は四十余年の程・法華経を説き給はず。経に云く「説く時・未だ至らざるが故」と云云。老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率(とそつ)の内院に篭らせ給いて五十六億七千万歳をまち給うべし。彼の時鳥(ほととぎす)は春ををくり、鶏鳥(にわとり)は暁をまつ。畜生すらなをかくのごとし。何に況や仏法を修行せんに時を糾ざるべしや。
 寂滅道場の砌(みぎり)には十方の諸仏示現し、一切の大菩薩・集会(しゅうえ)し給い、梵帝・四天は衣をひるがへし、竜神・八部は掌を合せ、凡夫・大根性の者は耳をそばだて、生身得忍の諸菩薩・解脱月等・請をなし給いしかども、世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし、即身成仏・一念三千の肝心・其の義を宣べ給はず。此等は偏にこれ機は有りしかども時の来たらざればのべさせ給はず。経に云く「説く時・未だ至らざるが故」等云云。霊山会上の砌(みぎり)には閻浮第一の不孝の人たりし阿闍世大王・座につらなり、一代謗法の提婆達多には天王如来と名をさづけ、五障の竜女は蛇身をあらためずして仏になる。決定性の成仏は燋種(いれるたね)の花さき・果(このみ)なり、久遠実成は百歳の臾(おきな)・二十五の子となれるかとうたがふ。一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず。されば此の経の一字は如意宝珠なり。一句は諸仏の種子となる。此等は機の熟・不熟はさてをきぬ、時の至れるゆへなり。経に云く「今正しく是れ其の時なり。決定して大乗を説かん」等云云。
 問うて云く、機にあらざるに大法を授けられば、愚人は定めて誹謗をなして悪道に堕るならば・豈説く者の罪にあらずや。
 答えて云く、人路をつくる。路に迷う者あり、作る者の罪となるべしや。良医・薬を病人にあたう、病人嫌いて服せずして死せば・良医の失となるか。
 尋ねて云く、法華経の第二に云く「無智の人の中に此の経を説くこと莫れ」同第四に云く「分布して妄(みだ)りに人に授与すべからず」同第五に云く「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上に在り。長夜に守護して妄(みだ)りに宣説せざれ」等云云。此等の経文は機にあらずば説かざれというか。
 今反詰して云く、不軽品に云く「而も是の言を作さく、我深く汝等を敬う等云云。四衆の中に瞋恚(しんに)を生じ心不浄なる者有り。悪口罵詈して言く、是の無智の比丘○又云く・衆人或は杖木瓦石を以て之を打擲(ちょうちゃく)す」等云云。勧持品に云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん」等云云。此等の経文は悪口・罵詈、乃至打擲すれどもと・とかれて候は説く人の失となりけるか。
 求めて云く、此の両説は水火なり。いかんが心うべき。
 答えて云く、天台云く「時に適うのみ」章安云く「取捨宜きを得て一向にすべからず」等云云。釈の心は或る時は謗じぬべきには・しばらくとかず、或る時は謗ずとも強ひて説くべし、或る時は一機は信ずべくとも万機謗(そしる)べくば・とくべからず、或る時は万機一同に謗ずとも強ひて説くべし。
 初成道の時は法慧・功徳林・金剛幢(こんごうどう)・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩・梵帝・四天等の凡夫・大根性の者かずをしらず。鹿野苑の苑(その)には倶鄰(くりん)等の五人・迦葉等の二百五十人・舎利弗等の二百五十人・八万の諸天、方等大会の儀式には世尊の慈父の浄飯大王ねんごろに恋せさせ給いしかば、仏・宮に入らせ給いて観仏三昧経をとかせ給い、悲母の御ために忉利天(とうりてん)に九十日が間篭らせ給いしには摩耶経をとかせ給う。慈父・悲母なんどにはいかなる秘法か惜ませ給うべき。なれども法華経をば説かせ給はず。せんずるところ機には・よらず。時いたらざれば・いかにも・とかせ給はぬにや。
 問うて云く、いかなる時にか小乗・権経をとき、いかなる時にか法華経を説くべきや。
 答えて云く、十信の菩薩より等覚の大士にいたるまで、時と機とをば相知りがたき事なり。何に況んや我等は凡夫なり、いかでか時機をしるべき。
 求めて云く、すこしも知る事あるべからざるか。
 答えて云く、仏眼をかつて時機をかんがへよ、仏日を用(もっ)て国土をてらせ。
 問うて云く、其の心如何。
 答えて云く、大集経に大覚世尊・月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固・次の五百年には禅定堅固・已上一千。次の五百年には読誦多聞堅固・次の五百年には多造塔寺堅固・已上二千年。次の五百年には我法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん等云云。
 此の五の五百歳・二千五百余年に人人の料簡さまざまなり。漢土の道綽(どうしゃく)禅師が云く、正像二千・四箇の五百歳には小乗と大乗との白法盛んなるべし。末法に入つては彼等の白法・皆消滅して浄土の法門・念仏の白法を修行せん人計り生死をはなるべし。
 日本国の法然が料簡して云く、今日本国に流布する法華経・華厳経並びに大日経・諸の小乗経・天台・真言・律等の諸宗は大集経の記文の正像二千年の白法なり。末法に入つては彼等の白法は皆滅尽すべし。設い行ずる人ありとも一人も生死をはなるべからず。十住毘婆沙論と曇鸞(どんらん)法師の難行道・道綽の未有一人得者・善導の千中無一これなり。彼等の白法隠没の次には浄土三部経・弥陀称名の一行ばかり大白法として出現すべし。此を行ぜん人人はいかなる悪人・愚人なりとも十即十生・百即百生・唯浄土の一門のみ有つて路に通入すべしとはこれなり。されば後世を願はん人人は叡山・東寺・園城・七大寺等の日本一州の諸寺・諸山の御帰依をとどめて、彼の寺山によせをける田畠郡郷をうばいとつて念仏堂につけば決定往生・南無阿弥陀仏とすすめければ・我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり。
 日蓮・此等の悪義を難じやぶる事はことふり候いぬ。彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の・一閻浮提の内・八万の国あり、其の国国に八万の王あり。王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名(しょうみょう)を四衆の口口に唱うるがごとく・広宣流布せさせ給うべきなり。

[撰時抄 本文]その二に続く




by johsei1129 | 2019-10-22 10:39 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)


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