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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 15日

六十八、金吾への限りない慈愛


消沈した金吾が馬にのり西へゆく。甲斐身延への道だった。
 金吾は奇跡的に主人の信頼を回復したが、与えられた所領は以前と比べてわずかだったのである。これでは命がけで忠義を尽くした甲斐がない。短気な性分がまた頭をもたげた。憤懣やるかたないのである。
 どうして思いどおりにいかないのか。この思いを師匠に聞いてもらいたい。そのために甲斐身延にむかったが良い話ではない。足取りは重たかった。

そしてこの道で山城、島田入道の二人が金吾のあとをつけていた。

獲物を狙う目だった。

二人は金吾を斬るつもりでいる。せっかく金吾を遠ざけたものの、主人の病を回復させた功によって金吾が引きたてられてしまった。出世の邪魔がまた頭をもたげた。我慢ならない。二人はそれほどまで金吾を憎んでいた。

身延の草庵で日蓮と金吾が対面した。
 金吾は日蓮に奉行所での顛末、光時の看病について事細かく説明した。
説明したあと、金吾は横をむいたままである。

逆に日蓮はにこやかに語る。

「さてはなによりもご主君の御病気、嘆いておりましたぞ。御内の人々には天魔がついて、前よりこのことを知りて金吾殿が法華経に供養するのを止めるために、このたびのたばかりをばつくりだしたのを、ご信心が深いゆえ、天が助けようしてあの病はおこったのであろう。ご主君は金吾殿をわが敵とは思わねども、いったん彼らが申すことを用いたために、病が重くなった。これにつけても金吾殿の身も危なく思っておりますぞ。必ず敵にねらわれるであろう」

日蓮は金吾の怒りにみちた顔を見てとった。

「金吾殿は短気な顔があらわれている。いかに大切な人といえども、荒い気性の者を天は守らないと知ることです。敵のかれらが金吾殿をいかにせんとはげむ中で(いにしえ)よりも主人が金吾殿を大切と思し召しているために、外の姿は静まっていても、胸の内は燃えたつばかりであろう。主人に万が一のことがあれば、かの人々はいよいよ迷い者になるのをかえりみず、物におぼえぬ心に金吾殿のいよいよ来たるを見ては、かならず炎を胸にたき、息をさかさまにつくであろう。主人から部屋をいただくならば、そこでは何事もなくとも、日ぐれ(あかつき)の時の出入りに必ずねらうであろう。また我が家の妻戸の脇、持仏堂、家の内の板敷の下か天井なんども、あながちに心得てくだされ」

金吾の不満な顔はかわらなかった。

日蓮が強くさとす。

「短気を腹()しきという。殿は腹悪しき人にて、わたしの言葉を用いることはないであろう」

金吾がようやく口をひらいた。

「上人、わたしは主人の家を出て一人で身を立てるつもりでございます。主人とは愛想が尽きました。あれだけ毎日の看病に心をつくしましたのに、いただいた所領はわずかなのです。今まで我慢に我慢をかさねましたが、これが限度でござる。ここが宮仕えの潮時かと・・」

金吾は師匠や主人への忠誠はだれにも負けないのに、ほかのことになるとまったくの駄々っ子だった。
 日蓮の言葉は叱るようだった。

「なぜ天の心に背かんとするのか。たとえ千万の(たから)に満ちても、主人に捨てられてなんの甲斐があるというのです。すでに主人には親のようにおぼしめされて、水の器にしたがうがごとく、羊の母を思い老人の杖をたのむがごとく、御主君が金吾殿を(おぼ)しめしておられるのは法華経のお助けではないですか。ああうらやましいと、御内の人々は思うでしょう」

金吾は首をふり涙ぐんだ時、日蓮が彼の手をにぎった。金吾は驚いて日蓮の目を見た。日蓮の目にも涙があふれている。

「かえすがえす今に忘れぬ事は、首斬られんとせし時、殿は供して馬の口に付きて泣き悲しみたまいしをば、いかなる世にか忘れなん。たとい殿の罪深くして地獄に堕ちることがあれば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏がこしらえようとも日蓮は用いませぬぞ。同じく地獄である。日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏、法華経も地獄におわすであろう。もし今の事を少しも(たが)えたならば、日蓮を恨んではなりませぬぞ。今しばらく世におわして行く末を見ていなされ。人身は受けがたし爪の上の土、人身は(たも)ちがたし草の上の露。百二十まで生きて名を腐らせて死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。中務(なかつかさ)三郎左衛門尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心根(こころね)も良かりけり良かりけりと、鎌倉の人々の口に歌われるのです。孔子と申せし聖人は九思一言とて、九つ思い、一たび申した。(しゅう)(こう)(たん)(注)と申せし賢人は湯あみする時、客人あれば三たびでも髪をにぎり、食する時は三たび吐いたのです。たしかに聞こしめせ。我ばし恨みさせたもうな。仏法と申すは是れにて候ぞ。不軽(ふきょう)菩薩の人を敬いしは何故(なにゆえ)でしたか。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞ですぞ」

日が暮れだし、金吾が帰路についた。

日蓮は馬の口をつかんで心配した。悪い予感がする。

「これよりのちは大事でなければ、お渡りはなりませぬ。急用があればお使いでうけたまわりましょう。かえすがえすこのたびの道は、あまりにおぼつかなく思いますぞ。敵と申すのは忘れさせてねらうものです。これよりのちは、もしやの旅には馬を惜しんではなりませぬぞ。よい馬に乗ることですぞ」

日蓮は遠くまで、いつまでも見送った。
 金吾は帰路の途中で、来た時とはうってかわって身が軽くなったことに気づいていた。それは日蓮に思いのたけを語りつくすことができたからであることは、金吾も身に染みて感じていた。

 

吾が鎌倉を目指しゆっくりと街道をゆく。

箱根湯本の道にかかった。

島田と山城は木のかげに隠れた。人通りがなく、襲うには絶好である。

二人は剣を手にしたがすぐにやめた。どこから来たのか、見知らぬ百姓が金吾に挨拶している。

百姓と話終わると金吾はゆっくりと進みだした。

金吾が国府津(こうづの道をすすんだ。今の小田原市である。

今だとばかり二人が刀をぬいて駆けだそうとしたが、行商人がむこうから来るのを見てやめた。二人は歯ぎしりした。

その行商人が金吾に声をかけた。

「これはこれは四条金吾様でございませぬか。お久しぶりでございます」

「おおこれは。そこもとはどちらへ」

「これから甲斐をまわり、諏訪へ」

「それは難儀であるな。気をつけてまいられよ」


そのころ身延では日蓮が弟子に法華経の講義していた。
 弟子たちは今夜の日蓮の様子がおかしいことに気づいた。

師匠がめずらしくおちつかないでいる。じつは金吾のことが心配で、いても立ってもいられなかった。

伯耆房たちはいつもとちがう日蓮にとまどった。

日蓮は講義をきりあげた。いままでにないことだった

「これで今日はおわりとする」

日蓮はこういうなり立ちあがって外へでていった。

弟子たちがいよいよいぶかしむ。

日蓮は急ぎ足で山から街道にでた。そしてかたわらの石にすわりこんだ。

伯耆房と日目が日蓮の様子がおかしいのでついてきたものの、お互いなんのことかわからず顔を見あわせた。

目の前の通りを歩く者はいない。

日がくれてきた。

やがてむこうから百姓が歩いてくるのが見えた。

日蓮は駆けだした。百姓は日蓮を見てほほえんだ。

「上人様、めずらしいですな。こんな所にまで下りてくるとは。なにかありましたか」

日蓮がそわそわしてきく。

「そなた、金吾殿を。鎌倉の四条金吾殿を見かけなかったか。背の高い強面の武士で馬に乗っている。黒の直垂(ひたたれを着ておったと思うが

百姓は日蓮の心配はよそに、間のぬけた顔でいう。

「金吾様。ああ、こわい顔の鎌倉のお武家様ですな。そうそう、湯本でお見かけしましたな」

日蓮がよろこんだ。

「そうか、そうであったか。ご苦労であった。もうよいぞ」

百姓がぽかんとした様子で去っていく。

日蓮はまた石にすわり、金吾が去った道のむこうを見つめていた。

空がいよいよ暗くなっていく。 

行商人が歩いてきた。日蓮がとめた。

「失礼いたす」

「なにか」

「そなた、四条金吾殿を見かけなかったかな。馬に乗り背が高く、黒の直垂を着ておる強面の御仁なのだが」

行商人がしばらくして思いだした。

「ああ、その方なら国府津で見かけましたぞ。お坊様、なにかございましたか」

日蓮がまたもよろこんだ。金吾は国府津までは無事なようだ。

「そうか、そうであったか。よくぞ思いだしてくれた。かたじけない。かたじけない」

行商人が不思議な顔で去っていく。

日蓮は日が落ちてもまだ石にすわりつづけ、鎌倉から来る人に金吾の安否を幾度となく尋ねた。

武士がゆっくりと馬でやってきた。

日蓮が馬をとめる。

武士はこの夕ぐれに何者かとあやしんだ。

日蓮がていねいに聞いた。

「鎌倉からこられた様子でございますが、お尋ねしたいことがあります」

武士は何事かと、一瞬身構える。

「いかにも、鎌倉からまいったが」

「お武家さま、鎌倉で北条光時様のご家来、四条金吾殿をお見かけしませんでしたか」

武士は旧知の名が出たためか、緊張が解け笑みを浮かべた。

おお四条金吾殿か、よく存じておりもうす。そうだ、(さる)()の刻であったか、大町大路でお見かけしたな。あのご仁はいま鎌倉で大評判じゃ。なにせ日蓮とかいう坊主にいれこんでおってな、信心のためなら自分の所領はいらぬと申しているそうな。世も末になりぬれば、かわったお人がでるものじゃ。よいかな。ではこれで」

武士は話す相手が日蓮だとは知らない。笑いながら去っていった。

いっぽう日蓮は伯耆房や日目にだきついて子供のようによろこんだ。

「よかったの。金吾殿は鎌倉に着いたようだ。よかった、よかった」

伯耆房と日目がまじまじと師匠を見た。こんな笑顔はひさしぶりである。

やがて日蓮はほっとしたのか、ぐったりとして館に帰った。

日蓮は金吾のために気苦労した。これに懲りたのか、金吾に手紙をだして事細かにさとしている。日蓮に子はなかったが、わが子のような愛情がみえる。

此度(このたびの御返りは(たましい)を失ひて歎き候ひつるに、事故(ことゆえ)なく鎌倉に御帰り候事、悦びいくそばくぞ。余りの覚束(おぼつか)なさに鎌倉より来たる者ごとに問ひ候ひつれば、或人は湯本(ゆもと)にて行き合わせ給ふと云ひ、或人はこふづ(国府津)にと、或人は鎌倉にと申し候ひしにこそ心落ち居て候へ。是より後はおぼろげならずば御(わた)りあるべからず。大事の御事候はゞ御使いにて承り候べし。返す返す今度の道はあまりにおぼつかなく候ひつるなり。敵と申すはわす()れさせて()らふものなり。是より()しやの御旅には御馬をおしませ給ふべからず。よき馬に()らせ給へ。また供の者どもせん()にあひぬべからんもの、又どう()まろ()もちあげぬべからん御馬にのり給ふべし。『四条金吾殿御返事(石虎将軍御書)

こんど甲斐にくるときは、屈強な従者をつれてくるように。また馬を惜しんではならない。合戦の時につける胴丸を軽々と乗せるような、たくましい馬に乗ってくるようにといっている。金吾の安否が心底気がかりであるとの思いが、ひしひしと伝わってくる。

さらに金吾の情に走りやすい性格にひときわ心配した。とりわけ金吾は法門を語る寄合には喜び勇んで飛ぶように出かけていた。竜象との問答でもそうである。

だが日蓮は軽々しく会合に行ってはならないという。万が一、よろこんで聞こうと思う心がついてしまえば、敵はそこにつけこんでかならず待ち伏せる。こうして命をおとし、すべてが台なしになると金吾への手紙で諭している。


「さて又法門なんどを聞かばやと仰せ候はんに、悦んで(まみ)え給ふべからず。いかんが候はんずらん。御弟子共に申してこそ見候はめ、や()やは()とあるべし。いかにもうれしさに、いろに顕はれなんと覚え、聞かんと思ふ心だにも付かせ給ふならば、火をつけてもすがごとく、天より雨の()るがごとく、万事をすてられんずるなり」『四条金吾殿御返事(世雄御書)





                    六十九、池上兄弟と三障四魔 につづく


下巻目次

 周公旦

生没年不明。周代の政治家。姓は姫氏。文王(西伯(せいはく))の子。兄の武王を助けて(いん)(ちゅう)王を滅ぼした。武王の死後は、武王の子・成王が幼かったために代わって政治をとり、また殷の残党が東方で反乱を起こした時には(みずか)ら遠征軍の指揮をとった。周公の政治は社会の道徳を慣習化した「礼」を基礎にしたことが特色とされ、後世、孔子などの儒者から深く尊敬された。





by johsei1129 | 2017-09-15 22:22 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)


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