2017年 09月 16日
時は弘安二年七月二十九日。筑紫の博多湾では群衆が処刑場にひしめいていた。 元の使者が首の座にのぞんでいたのである。 四年前の建治元年(一二七五年)九月二十七日、元の正使、杜世忠の処刑につづき、幕府は再来日した元の使者を斬った。 博多の群衆がざわめいた。 「また鎌倉様がやってしもうた。戦が近いぞ。蒙古が攻めてくるぞ」 ところがこの処刑の最中に、縛られていた元使の従者三人が脱走した。 幕府の兵が追ったが彼らは懸命に逃げだし、元の船に乗りこんだ。三人は命からがら蒙古にわたり、皇帝フビライに日本の凶行を報告することになる。 鎌倉政所では時宗、平頼綱、安達泰盛を中心に御家人衆が集まっていた。 時宗の横には奉行がならぶ。鎌倉幕府の官僚である。 当時さまざまな奉行がおかれた。おなじみの勘定奉行や寺社奉行はじめ、進物奉行、贈物奉行、貢馬奉行、御弓始奉行などもあった。 この中に作事奉行の池上康光がいた。 作事とは建築の意味で、幕府の建設部門をになっていた。鎌倉幕府の主要な建物の造立を任される重職である。幕府公認の棟梁といっていい。 奉行池上康光の息子、宗仲・宗長の兄弟も父に従って作事の職にあった。兄弟は事務官ではない。自ら鋸や金槌を手にして働いた。 鎌倉幕府の役職は基本的に世襲である。康光のあとは兄の宗仲が奉行職を継ぐことになっていた。 この親子は熱心な仏教徒だったが、信奉する宗派が異なっていた。父の康光は極楽寺良観の崇拝者だった。いっぽう兄弟は日蓮に帰依していた。 池上兄弟の入信は古い。 日蓮に帰依したのは二十二年前の康元元年(一二五六年)で、四条金吾と同じであったといわれる。兄宗仲は金吾と同じく頑なまでに日蓮を信じていた。富木常忍や金吾とおなじく門下の中心的存在である。弟の宗長も兄に同調して日蓮に師事していた。 かたや父の康光は極楽寺良観の大檀那である。ここに親子の葛藤が始まろうとしていた。 安達泰盛がつげる。 「九州で蒙古の使者を斬ったことを報告いたす」 一同がどよめいた。 平頼綱がつづく。 「ふたたび蒙古軍と相まみえることになるだろう。これからはいよいよ筑紫の防衛を強化する必要がある。文永の役ではかろうじて押し止めることができたが、今回は蒙古も最大の軍船で日本に来るであろう。心して掛かられば九州に上陸されてしまう。なんとしてでも蒙古をくい止めねばならない」 泰盛がさらにつづいた。 「極楽寺良観殿をはじめとして全国の寺社仏閣に異国調伏の祈りを行わしめる。われわれはどのような宗派であれ、国の安泰を祈る僧侶であれば寄進を惜しむことはない」 平頼綱が一同をにらみつけ、最後宣告をする。 「今こそ日本の武士が団結しなければならぬ時である。これに逆らう者どもは即座に滅ぼしてくれよう」 安達泰盛が咳払いし、話題を変えた。 「つぎに、先日罹災した時宗様の御館を再建いたすことに決定した。この造作は作事奉行の池上殿に命じる」 池上康光が一族を代表して言上した。執権の館を請け負うのは一族にとって、このうえない名誉である。 「ありがたきしあわせ。かならず鎌倉殿の御心にかなう作事をごらんにいれまする」 寄合が終わり、御家人が政所の出口で馬に乗り帰宅していく。 ここに極楽寺良観が立っていた。 御家人はみな良観に手をあわせて通りすぎていった。良観はいまだ鎌倉の実力者である。良観から借財をしている御家人もいた。会釈でもしないとあとがこわい。 池上親子が良観とすれちがう。 父の康光は良観に手をあわせたが、宗仲と宗長の兄弟は立ったままである。日蓮を謀略で竜の口に導いた張本人に対して手を合わせることはとてもできない。 康光がうやうやしく挨拶をする。 「これは上人様。わざわざおこしで」 良観はにこやかである。 「池上殿、いつも深いご信心でありがたいことでございます。こちらはご子息でおわしますかな・・」 康光が二人を紹介する。 弟の宗長は軽く会釈したが、兄の宗仲は相変わらずだまったままである。 この様子を見て康光がたしなめた。 「これ、宗仲、挨拶せぬか」 宗仲はきっぱりといった。 「良観殿の前ですが、わたしは律や念仏を信仰してはおりませぬ」 康光の顔がこわばった。 「宗仲、なにを申す。良観上人は鎌倉殿の信頼も厚く、この鎌倉中の人々がこぞって敬っておられる・・」 良観がさえぎり、大げさに言った。 「おお、そういえば宗仲殿は日蓮殿の熱心な信徒でおられると聞いており申した」 宗仲がうなずいて声高に言った。 「さように相違ございません。それ故、わが師日蓮聖人を佐渡に追いやった良観殿に頭を下げるわけにはまいりません」 まわりの御家人たちは、宗仲の強言に顔を見合わせて驚いた。 宗仲が去っていく。 父康光がさすがに怒った。 「これ、またぬか宗仲」 いっぽう弟の宗長は気弱な面持ちで困惑していた。 鎌倉の御家人はこぞって極楽寺良観に媚をふる。良観もこれを当然のように受けいれた。だが自分になびかない者がいる。良観は公の場で宗仲に面罵に近い恥辱をうけようとは思いもよらなかった。日蓮に祈雨で敗れた時以来の腹立たしさがよみがえった。 木こりが山中にむらがっていた。彼らは石斧でたたくように大木を刻んでいった。 この時代、大木を伐採するときは石斧を使ったという。大型の鋸が登場するのはずっとあとである。大木の根本を鉛筆の芯を削るように細くして倒した。 男たちが倒れた木を縄でしばってころがす。彼らは短い丸木を車輪にして大木を動かした。みな半裸である。ふんどし一つの者もいた。 大木は鎌倉の建築現場にはこばれた。 太陽がふりそそぐ中、円盤状の石の器に太い柱がたてられていく。 職人たちが地面にすわりこんで鋸をひいた。当時、木工職人はすわって作業したという。みな炎天下の中、半裸で汗だくになりながら作業した。 職人がカンナで表面を仕上げる。当時の資料を見ると、カンナは弓のように曲がった刃物を使っている。またノミを使って加工する職人もいた。尚、現代使用されている台かんなは、室町時代中期に中国から伝わったと言われている。 作事の職人は身分が低かったという。だが建築自体は神聖視された。いまでも一軒の家をつくるのに建前をおこなうが、この時代はもっと作法がやかましかった。職人がさっさと仕上げていくものではない。まず建築の日取りを決めなければならない。日どりを決めるのは役人ではなく、陰陽師が占った。 余談だが貞応二年、北条政子が自邸と持仏堂を建てるための日程を決めたことがある。日蓮が二歳の時である。 二月二十七日 政子邸で日取り決め。 二月二十九日 木造と地曳の事始。木造とは作業の安全を祈るため行われる祭儀である。 四月 六日 礎石据え。 四月十九日 立柱上棟。 七月二十六日 引っ越し。御移徒という。 八月二十日 御堂供養。 『吾妻鏡』によれば、この日程を決めるのに六人の陰陽師が奉行をかこんで、あれかこれかともめている。六人の陰陽師の姓はいずれも安倍家だった。ちなみに陰陽道世襲二家のうち、もう一つは賀茂家である。 政子は当時、尼将軍といわれ、権力の絶頂に位置していた時期である。そんな政子でも作事の段取りは簡単に決められなかった。それにしても新築のために六人の陰陽師が占ったというのにはおどろかされる。今なら非効率のきわみだが、当時は重要な行事を遂行するため陰陽師を重用するのは至極あたりまえの事だった。この建築の責任者は名君のほまれ高い北条泰時だったが、場所や日取りのことで陰陽師にふりまわされている。現代では笑い話だが、当時の人にとっては深刻な問題だったのだ。 北条時宗の御殿も日どりがきめられ、作事の現場はにぎやかになった。 職人たちがあきれた。 「またはじまったぞ」 怒鳴り声は工具小屋からだった。 父康光の前に長男の宗仲、次男の宗長がひかえていた。 「よいか、良観上人は鎌倉殿の覚えが厚いお方だ。鎌倉の仏教界一の実力者なのだ。上人に逆らえば木材の調達もあやうい。作事がとどこおってしまうぞ。それがわからぬのか」 宗仲がいいかえした。 「父上、作事とわれらの信心とは関係ございませぬ。父上、良観殿の念仏を捨てて日蓮聖人の教えをお受けくださるよう、かさねておねがいいたします」 「ええい、聞く耳もたぬわ」 宗仲がやむなくさがった。 かわって康光は弟をさとした。弟は気がやさしいだけに説得の見込がある。 「宗長、わしのいいたいことがわかるな。念仏を信じよ。兄にはつくな」 宗長がおだやかにこたえる。 「父上、わたしも日蓮聖人の教えを第一と思っております。父上のお言葉ではございますが、こればかりはお許しくだされ」 弟も父の前からさがった。 康光が苦々しく弟の背をみた。 池上親子の信仰上の対立は、兄弟が日蓮に帰依してからずっと続いていた。 以前、康光は念仏に帰依しない兄弟を勘当していたのである。康光はあくまで極楽寺良観を生き仏のように信じていた。康光は親にさからう兄弟が許せなかった。 この時代、勘当の代償は重い。 勘当は親子の縁を切ることである。今とは重みがちがう。職はもちろん、身分までなくなってしまう。相続権はもちろん社会的な地位まで抹消された。 このため兄弟は一時、流浪しなければならなくなった。この時はほとぼりがさめてことなきをえた。だがふたたび父の怒りを買えば、もうもとにはもどらない。 兄宗仲の屋敷は作事奉行の長男らしい見ばえのよいものだった。長男が家督をつぐのが当然の時代である。室内の装飾も池上の後継にふさわしいつくりだった。 宗仲が帰宅した。 宗仲はつとめて明るい表情をみせたが、妻は不機嫌でいた。 夫婦と子供たちが言葉少なに食事をはじめた。 宗仲が白米をかき込む。 「また、やってしもうた」 「なにがですか」 「父に信心の話をしたが、機嫌をそこねてしまった」 妻が箸をおいた。 「またですか。私が言うことではないでしょうけど、あなたは池上の跡取りです。お父様の気持ちを損ねたら、作事奉行を継げとは言われないでしょう。もうこれ以上波風をおたてにならないでくださいませ」 宗仲はふくれた。 「わしは跡目などどうでもよい。法華経の信心をしておればよいのだ」 妻がきっぱりといった。 「わたしはいやでございます。いままで作事奉行の妻を夢見てここまできたのです。もっとお父様の気持ちをくんでやることはできないのですか」 「では法華経を捨てて、念仏を信じろというのか」 「そうは申しておりませぬ。でもなにか良い方法はあるでしょう。もっと穏便に法華経を続けていけるよう、お父様にわかってもらうことはできないのでございますか」 宗仲がだまった。 妻の不機嫌はもどらない。 「跡目相続の衣装を考えておりましたのに・・」 妻の心配は切実だった。以前、宗仲が勘当された時、妻は目の前が真っ暗になった。もうあのような思いはしたくない。 いっぽう弟宗長の家は作事の名門からはほど遠い質素なつくりである。弟である以上、兄の影で生きていかなければならなかった。 ところで宗長の妻は子ができなくて、嘆いていたという。 そのことについて、日蓮が「子を授かるという望みを諦めるでない」と宗長の妻を励ます書が残されている。日蓮は信徒一人ひとりの置かれている境遇を把握し、信心の指導だけでなく、細やかな生活指導をもなされていことを伺わせる。 兵衛志殿女房、絹片裏給い候。此の御心は法華経の御宝前に申し上げて候。 まこととはをぼへ候はねども、此の御房たちの申し候は、御子どもはなし。よにせけん、ふつふつとをはすると申され候こそなげかしく候へども、さりともとをぼしめし候へ、恐恐。 十一月廿五日 日 蓮 在 御 判 (訳) 兵衛志(宗長)殿女房へ 絹片裏を賜りました。あなたの志は、法華経の御宝前に申し上げました。 本当のこととは思われませんが、弟子が言うにはあなたには子がいないとか。そう言う人生だとすっかり諦めてしまったと申されていることは、嘆かわしいことですけど、いままではそうでも、これからはあきらめず(子を授かるという)希望をもって過ごしていってください。 宗長が日焼けした顔で帰宅した。 「お帰りなさいませ。すぐ食事の用意を」 宗長の表情が暗い。眉間にしわがよっている。 妻が気づかった。 「今日はもめ事があったのですね」 「わかるか」 「お顔に書いてございます」 「そうか。お前はなんでもわかるのだな」 妻がにっこりと微笑む。 宗長がぼそりといった。 「兄上と二人で父を折伏いたした」 「まあ、それは、それは」 「いつものとおり喧嘩になってしまった。父上はまったく聞く耳をもたぬ」 「そうでしたか。でもお父様もいつかはおわかりいただける時がきますわ。ここは辛抱の時でございましょう」 妻は夫の心配をよそに笑いをうかべた。いつもこうなのだ。この天真爛漫な妻のおかげで宗長はいつも救われた。 「大丈夫でございます。あんなにしっかりしたお兄さまがついていますわ。あなたとお兄さまで気長に信心のお話をされたら、氷がとけるようにわたしたちの思いが伝わるはずですわ」 宗長が箸をおいた。 「だが不安もある。兄上はあのとおり強情だ。なにかおこらぬとよいが」 満座の聴衆が極楽寺にあふれていた。 きらびやかな装束の武士や尼御前がいる。 外では筵をかぶった病人が手をあわせていた。 極楽寺は先の火災ですべてが焼亡し、今はひとつの堂をのこすだけとなったが、良観の人気はあいかわらず根強かった。日蓮に雨乞いで敗れ、竜象の件で面目をつぶしたが、いまだ多数の信徒がいた。 良観が自信にあふれて説法する。 「仏の教えとは、むずかしいことではありませぬ。生き物を殺さない、盗みをしない、酒を飲まない、淫欲をおさえる、うそをつかない、この五戒さえ守っておれば、仏になることができるのです」 良観は座を見まわした。 「さりながら、ここに仏になれるおかたは何人おられますかな・・」 一同が爆笑した。 池上康光夫妻がこの極楽寺の別室で良観を待っていた。二人とも思いつめた様子である。 説法を終え、紅潮した良観が入ってきた。 彼は夫妻がいるのに気づかず、弟子に指図した。 「今日の法話はまずまずであったな。つぎは下世話でもよい。わかりやすい話をもっと入れるように。その中に布施をさそいかける話をちりばめておけ。少しでも出させるよう巧みにな。よいか」 良観の法話は弟子が作成していた。彼は関所や借銭の経営に多忙である。法話を考える余裕はない。弟子の作った話を聴衆に聞かせていたのである。 ここで良観は康光夫妻に気づいた。 「これは池上殿。おいででしたか。お知らせくださればよいものを。わざわざのおこし、あいかわらずの深い御信心ですな。殊勝でございますぞ」 康光がうやうやしく言上した。 「上人、先日のご無礼、まことに面目なき次第でございました。池上家の棟梁としておわび申しあげます」 「おおそうでござった。忘れておりました。いつの世にも若い者は血気にはやりがちです。大目にみることが大切でしょうな」 忘れてなどいない。良観にとってあの時の宗仲の態度は屈辱だった。良観は自分に頭をさげない者が許せない。 妻が手をついた。 「それでおりいってご相談にうかがいました。どうぞこれを」 妻が皿におかれた銅銭の束をさしだした。 康光が本題にはいる。 「じつは某の息子二人のことでございますが、日蓮の法華経を信じ、念仏を無間地獄の業、禅宗を天魔の所為といっております。長年にわたり諭してまいりましたが、いっこうに目をひらきませぬ」 良観がうなずいた。 「そうではないかと思っておりました。作事奉行の子息がそろってあの日蓮に帰依しておられる。鎌倉でうわさをしない者はおりませぬ」 「そのことでござる。親にさからう子が跡目を継ぐことはできぬ相談。かといって代々作事の家である池上が途絶えることは忍びがたく・・」 良観の目じりがゆるんだ。 「なにか名案でもありますかな」 夫妻は考えこんだままだった。 「池上殿のご子息。たしか宗仲と宗長のご兄弟。兄の宗仲殿はなかなかの武辺者とお見うけした。それにくらべ、弟は心根が素直であるように思うが」 康光の妻は良観の理解ある言葉に打ち解け、語りだした。 「たしかに弟の宗長は、それはまあ気のやさしい親思いの子でございました。それがあの日蓮にそそのかされて・・」 良観がうなずいた。 「まことに日蓮はこの鎌倉の害毒でございますな。あやつめ、この良観を恐れて甲斐の山へ逃げたが、狂信の弟子どもがこの鎌倉に徘徊しておる」 「まことに親を教訓する子供なぞ、後継ぎとは申せませぬ」 「だが弟の宗長殿は改心の見込みがあるのではないかな。尋常ではないが、弟君が兄にかわって跡目をつげば、池上家は末代まで栄えるであろう。悪い話ではない。どうですか康光殿、この良観が中にはいって解決してもよいのだが」 夫妻が手を床につけ、ひれ伏した。 「どうぞ上人のお力を」 良観はこれで日蓮に一泡吹かせることができるとばかり、満足げに薄笑いをした。
七十 兄池上宗仲、父より勘当される につづく
by johsei1129
| 2017-09-16 21:12
| 小説 日蓮の生涯 下
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