日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 03月 20日

二十八、極楽寺良観の策謀

時宗の妻祝子(のりこ)が二人の乳母に両手をかかえられ館の廊下を歩いていた。

身重であった。

色白く、一見ひ弱に見える十九歳の若妻が、二十歳の時宗の前にゆっくりとかしずき、うやうやしく両手をそろえる。

祝子は安達泰盛の腹違いの妹で、四十歳の泰盛とはかなりの歳のひらきがあった。このため父亡き後、泰盛は祝子を養子にしていた。

「殿にはご機嫌よろしゅうあそばされ、なによりにございます」
「大きくなったのう」
 時宗は満面の笑みで祝子の腹に目をやる。
彼女は腹をなぜた。

「わらわもあとすこしで願いが叶えられまする」
 祝子は今執権の妻として幸せの絶頂にいた。

今日の時宗はにこやかである。

「安静にいたせ。その子は北条の頭領になるやもしれぬ」

「わらわも殿の望む男の子を生みとうございます。わらわのまわりは、みな男であることを願っておりますが、もし叶わなければ心苦しゅうございます」

「そんなことは気にするな。男であれ、女であれ元気に生まれてくるのがなにより。どちらが生まれてくるかは天の思し召し。案ずることはない。今は安静がなにより大事だ」

「それをうかがいまして安心いたしました。肩の荷がおりたような気がします。身も不自由で、なにかと周りの者も気ぜわしい毎日で・・」   

乳母が気を利かして出ていった。

祝子はだれもいなくなったのを確かめると、そっと時宗にだきついた。涙目である。

「もっと殿に会いとうございます。わらわのわがままでございましょうか」

 時宗が祝子の肩を強くだいた。

「我慢いたせ。もう少しの辛抱ではないか。わしもそなたに会いたい。国の一大事を片づけなければ、わしも自由になれないのだ」

祝子が夫の目を見つめた。

「むくりのことでございますか」

 当時、人々は蒙古のことを「むくり」とよんでいた。

「むくりだけではない。このたびの飢饉もなんとかやり過ごすことができた。次から次へと、わしの手に負えぬことばかりだが」

時宗はもう一度、祝子の腹に手をあてる。

「この子のためにも、懸命に執権のお役目を果たすだけだ」

祝子がふたたび時宗の胸に顔をうずめた。至福の時である。

その時、時宗は戸のむこうに人の気配を感じた。

執事の平頼綱だった。

「殿、来客でございます」

「左衛門の尉、いま手がこんでおる。あとにせい」
 時宗は祝子を抱いたまま返事をする。

頼綱の返事はいつもとちがい歯ぎれが悪い。

「それが困ったことに・・」

「どうした。だれがきたのだ」

「葛西殿、讃岐の局、冶部卿、そのほか尼御前方が多数お見えで」

祝子は思わず時宗からはなれ、身繕いをする。

時宗が吐き捨てる。

「幕府が窮状のさなかに、母上たちはいったいなんの用なのだ」

謁見の間ではすでに大勢の尼や女房がいならんでいた。

筆頭は亡き北条時頼の正室、葛西殿。側室の讃岐尼、北条重時の未亡人冶部卿がいる。彼女たちは後家尼の象徴である黒衣をまとっていた。

突然の来訪である。

時宗が上座で対面した。その横には頼綱、安達泰盛のほか、葛西殿謁見(えっけん)知らせを聞いた北条宣時ら幕府重臣がならんだ。

葛西殿がうやうやしく挨拶する。

殿、おひさしゅうござります。元気そうな尊顔を拝し、安心しました。祝子(のりこ)殿も、見目麗しくなによりです。殿は日ごろ何かと煩わしい事がおありとおもわれますので、早速ですが一言申し上げさせていただきます。昨今、内外に多くの憂いがあり、時宗殿なら間違うことはないと思ってはおりますが、わらわも生来の気の弱さもあって心配でなりませぬ」

時宗は母親の謁見の意図を探るかのように、慎重に返答する。

「母上、お久しぶりですが、元気な様子でなによりです。身重の祝子の様子伺いかと思いますが、ご心配めされるな。祝子もまもなく臨月ですが、なんのさわりもありませぬ。世継ぎが生まれるかどうかは、御家人が恐れをなす執権時宗といえど、いかんともしがたい事ですが、無事良い子が生まれてくるでしょう。わたくも、はやり病にもかからず、息災の日々でございます」

葛西が笑みを浮かべた。

「それはそれは、なによりです。わらわもあと少し長生きできるというもの」

時宗が切りだした。

「しかしおどろきましたな。母上、讃岐様そして亡き重時様のご正室・治部卿様がお集まりになるとは。よほどのことでございますか」

冶部卿が告げた。彼女の亡夫重時は日蓮を伊豆流罪にしている。

「われら仏門に帰依してより、思いは仏の道しかありませぬ。仏の道とは成仏すること」

 時宗が笑みをうかべる。

「それは殊勝でございます。父上も禅に熱心であられました。最後は仏にすがっておられました」

実母の葛西が意を決したように告げる。

「時宗殿。今日はそなたの父上のことでまいったのじゃ」

時宗が何事かとばかりに首をかしげる。

葛西が上目づかいに語りはじめた。

「仏の道とは念仏であれ、禅宗であれ、成仏を願うもの。さりながら殿、その仏教を破滅させようとする僧侶がこの鎌倉にいるのです。すでに御承知かと存じますが、名は日蓮と申す」

場がざわめいた。平頼綱がにやりとし、安達泰盛が不安にかられた。

「その日蓮を殿の手で捕らえていただきたいのです」

時宗は驚きをかくしてこたえる。

「なぜでござるか。日蓮殿は過日、旱魃の日本に雨をふらせて名声が高まっており、鎌倉の民もなびいていると聞いております。その日蓮殿を捕えよと」
 葛西の口調がしだいに強くなった。

「日蓮いわく、念仏は無間地獄の業因、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説と」
 重時の妻、治部卿がさらにたたみかける。

「そのうえ家々に先祖代々つたわる阿弥陀や観音の像を火に入れ、水に流しておりまする。また鎌倉中の罪人をかくまっているとのこと。そして刀・弓など武具をあつめているのです。ごぞんじでしたか」

時宗が弁護した。

「なにかのまちがいではござらぬか。事実なら、まず幕府に訴えがあるもの」

 葛西はくいさがる。

「かの日蓮は弁舌たくみで、よく人をまどわしまする。評定所に訴えても詭弁(きべん)(ろう)して沙汰人をいつわります。それゆえ、われらほかに手立てがなく、殿じきじきに訴えでた次第。どうかお取りなしを」

時宗はむきになった。

「おまちくだされ。亡き父上は日蓮殿を島流しにしましたが、それを悔やんで無罪としたのです。父上は日蓮殿を罪人とは思っておりませんでした。わたしもそれに従うまでです」

実母がここで涙を流し、感情をあらわにした。

「日蓮はおまえ様の父上、わが夫の時頼殿を地獄に堕ちたと申しているのですぞ」

冶部卿も周りに(はばか)()なく涙を流していた。

「日蓮はわが夫、重時殿も無間地獄にいると」

座が凍りついた。尼たちのすすり泣きがひろがる。

葛西が最後に告げた。

「殿、母として申します。あの憎い坊主を捕らえなければ、この身も殿も安穏ではありませぬ。どうか、良きにお計らいたもれ」

時宗が腕を組み、じっと天を仰いだ。

時宗は尼御前が退出したあとも腕を組んでいた。まわりには頼綱、泰盛、宣時がいる。

みな深刻である。

時宗が思案にくれてつぶやいた。

「あの母上たちの口ぶり、異様な興奮・・ただごとではない。だれかにそそのかされたか」

頼綱は尼たちを弁護する。

「後家尼御前の力は幕府でも絶大。御家人の大半は女どもの尻にしかれておる。尼将軍の政子様がお手本じゃ。また後家尼らの所領は数多い。蒙古との備えもあります。財政面で後家尼どもに援助してもらわねばなりませぬ。その意味で後家尼殿の御意向は粗略に扱うわけにはいきませぬ」

泰盛が反論した。

「しかし御成敗式目に鑑みれば、証拠がなければ日蓮を捕らえることはできぬ。他宗の批判は世上を惑わさないかぎり、幕府も許しております。武器を蓄え、悪人を集め、亡き殿を地獄に堕ちたなどという証拠は今のところありませぬ。それに・・」

頼綱がさえぎった。

「いや日蓮は捕らえるべきですな。この鎌倉ではいまや念仏にかわって法華経の題目がうずまいている。危険でござる。これ以上拡大させるべきではありませぬ。もし・・」

こんどは泰盛がさえぎった。

「殿、ひとつ考えがあります。日蓮の祈りの力用(りきゆう)恐るべきものでござる。蒙古の予言といい降雨の祈りといい、あれほどの力用を示した高僧はおりませぬ。蒙古の退治も日蓮を利用すれば必ずしるしがあるはず」

頼綱がいきりだした。

「ばかな。なにを申す」

泰盛もむきになった。

「おぬしこそ。幕府をほろぼす気か」

時宗は決断した。

「まて、母上まで出てきてはいたしかたない。一度は日蓮殿を問注所に召喚することにしよう」

泰盛は落胆した。

「日蓮殿を召喚する。結論はそれからだ。召し出して詰問すれば、尼御前たちは納得して静まるだろう。召喚の担当は頼綱、そちがせよ。だがくれぐれもはきちがえるな。日蓮殿は罪人ではない。丁重にあつかえ」

時宗は楽観的だった。

日蓮は悪人ではない。幕府が真意を聞いて公表でもすれば、自然に騒ぎはおさまると思っていた。しかしこれが頼綱の暴走をまねくことになる。

頼綱はうやうやしく時宗に平伏し、横に控えていた北条宣時に目で合図した。

尼御前の輿(こし)が葛西殿を先頭に若宮大路をすすむ。

執権の母である。すれちがう武士が頭をさげ、町民がひれふした。

そのなかで、ひときわ目だつ黒衣の僧が伏せていた。

葛西がにこやかに(すだれ)をあげて見おろした。

平伏した僧はこれに答え、うやうやしく顔をあげた。

極楽寺良観であった。


(    
)

              二十九、平頼綱への諌暁 につづく


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by johsei1129 | 2017-03-20 17:22 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)


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